ハリウッドは長年にわたってゲームの実写映像化に苦戦してきた。『ダブルドラゴン』『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』『トゥームレイダー』など、ゲームを原作とした実写映画は、「ゲームに忠実すぎる」「ゲームのよさを表現できていない」「キャストがキャラクターに合っていない」などと、どれも厳しい評価をされてきたのだ。
しかし近年、ドラマシリーズ「THE LAST OF US」や、映画『人狼ゲーム 夜になったら、最後』などが高い評価を受けており、ゲーム実写化の映像作品に変化が訪れている。特に前者は、多くの賞も受賞している。
なぜ最近になってゲームの実写化がうまくいくようになってきたのか? その理由はいくつかあるだろう(ペドロ・パスカルの存在は理由のひとつだ)。Amazonプライム・ビデオの新作シリーズ「フォールアウト」の共同クリエイターを務めるジョナサン・ノーランは、テレビ版や映画版で描かれるストーリーより、ゲームの世界のほうが「より洗練され、おもしろく、魅力的」であることが多いからだと考えている。
結末が複数あるなら、“忠実な実写化”はない
ノーランが最初に「Fallout 3」(フォールアウト3)を始めたのは2009年、『ダークナイト ライジング』の脚本を執筆しようとしていたころだ。プレイしてみて驚いたという。ノーランはゲーマーで、それまでも常にゲームをプレイしてきた。しかし「Fallout 3」は、彼の言葉を借りれば「非常に野心的で、細部まで美しく想像されていて、超暴力的で、政治的風刺が効いていて、ダークでエモーショナルで、それでいて面白く、奇妙で、愛嬌もあってヘンテコ」だったのだ。
「Fallout」「BioShock」「Portal」のようなゲームには、ノーランいわく「パンクロックな感覚」があるという。「ゲームは奇妙なチャンスをものにし、奇妙かつ予想もしないことを瞬間的にやってのけるのです。わたしは映画が大好きですが、映画ビジネスというものは、伝えたいストーリーをつくっていくなかで、非常にコンサバティブな道を続けて通り抜けなければなりません。スタジオが赤字になることを恐れるために、過去に成功したことと同じことをやろうとする業界なのです」
ノーランが「Fallout」実写化への参加を決めたのは、そういう実情を踏まえた上で挑戦してみたいと思ったからだ。一般的に、ハリウッドが実写化する場合、原作の世界観を拡張することが多い。例えば、文章でしか表現されていない世界をビジュアル化してつくりだしたり、ときに大衆受けするキャラクターを加えたりすることもある。
しかし、ゲーム実写化、特にRPGが原作の場合は、その世界観をうまく縮小する必要がある。(映画やドラマを)観る人は、ゲームをプレイする人のような主体性はもち合わせていない。また、ゲームの場合は、あるプレイヤーが体験したストーリーが、別のプレイヤーが体験するストーリーとはまったく異なる場合もある。
「Fallout」のようなゲームには、共通のモンスター、悪役、目的など一連の基準はあるものの、プレイヤー個人によるゲーム中でのさまざまな選択が反映され、エンディングはそれぞれで異なることがある。つまり、ゲームの忠実な実写化というものはない、ということになる。ゆえに、ノーランと、「Fallout」シリーズのゲームディレクターで製作総指揮者であるトッド・ハワードは、ゲームにあるストーリーのシーンを実写化するのではなく、ゲームの世界観のなかでオリジナルストーリーを展開することにしたのだ。
プレイできないキャラクターの物語も
ノーランは、オリジナルストーリーを紡ぐ役割をプロデューサーのグレアム・ワグナーとジェニーヴァ・ロバートソン=ドウォレットに託した。ふたりは、ウォルトン・ゴギンズ、エラ・パーネル、アーロン・モートンが演じる3人のキャラを軸にストーリーを展開することにした。
どのキャラクターも、それぞれの人生の転機のタイミングで物語に登場する。ゴギンズが演じるのは「グール」になってしまった元カウボーイ映画のスター俳優だ。冷酷な無法者である彼の性格は、最初の爆弾投下から219年もの間の喪失感が積み重なってできたのだと想像せざるを得ない。モートンが演じるマキシマスは元孤児で、軍事組織のBrotherhood of Steel(BOS)に属しており、功績をあげようと努力している。パーネル演じるルーシー・マクレーンは、シェルターである「Vault」居住者で、誘拐された父(カイル・マクラクラン)を探すためにウェイストランドへと出ていく。
「Brotherhood of Steelが長年直面してきたジレンマ、苦境、物事の異なる捉え方、そのすべてが興味深いと思います」そう語るのはワグナーだ。「『Fallout』のゲームではほとんどの場合、プレイヤーはVault居住者としてスタートします。そうすることで、小さな場所からクレイジーな新しい世界を探検するという流れができます」
ワグナーとロバートソン=ドウォレットは、今回の物語のなかにゲームではプレイできないキャラクターである「グール」も取り込むようにした。「Falloutの世界ではアンタッチャブルな存在なので、見てみたいなという想いがありました」というワグナー。
全体の雰囲気を「綱渡り」で決めた
「Fallout」の世界観には、核によって滅亡した後の世界がどれだけ悲惨で複雑であるかを、風刺するギリギリのブラックジョークがつきものだ。爆発による雲を見た子どもが発する「あーぁ」という台詞、性的なジョーク、滑稽なくらい大げさすぎる虐殺シーンなど、悲惨な状況をユーモアとのバランスをとりながら描き出している。
ワグナーは、シリーズ全体の雰囲気を決めるのは、まるで綱渡りをするようだったという。過剰にバカバカしくするときもあれば、死ぬほど真剣にしなければならないときもあったからだ。
「コメディ感なしの長いエピソードは編集しました。(コメディが)ストーリーに必要だと思ったのです。結果、『なんだかアポカリプス感がすごいね』という感じになりました」とワグナーは茶化す。「誰もが行ってみたくなるアポカリプスをつくりたかったんです」
見る人のなかには、劇中の設定や描写に現実と似ているところを見出し、2024年の現在に世界の終わりを感じる人もいるかもしれない。しかし、ノーランいわくその類似点はただの偶然だという。ドラマ制作が始まったのは、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻、中東情勢の変化が起きる前の19年なのだ。
とはいえ、ノーランはこう語る。「(この作品が)人類の傷口に指を突っ込む機会のようなものになればとは思っていました。わたしたち自身、実際に(こういった問題を)乗り越えられるのか、それとも吹っ飛ばされてしまうのか、まだわかっていないのですから」
ワグナーいわく、人類は常に「終末と隣り合わせ」だという。アポカリプスは共感できるコンセプトなのだ。女性が仕事に出て、スカートではなくパンツを着用するようになったことを、この世の終わりだと考えた人もいるかもしれない。
「世界は常に終焉の状態にあるのです。わたしたちは常に終わりについて語り続けています」と彼は続ける。「最後の幕が下りるとき、自分はそこにいると思うほどには、ぼくらはみんなナルシストなんですよ」
世界がすぐには終わらない前提で、もしシーズン2という幸運が決まれば、作品をどう進めていくのか。「フォールアウト」の製作チームにはすでに計画があるとノーランは言う。
「テレビでは、あまり大風呂敷を拡げすぎないよう気をつけないといけません」。そう語るノーランは、HBOで人気を博したシリーズ「ウエストワールド」が打ち切りになった経験がある。「テレビでは素晴らしい1シーズンをつくることに集中したいのです。もしうまくいけば、次のチャンスもある。そのチャンスがくればいいなと願っています」
[編註:なお、本記事のインタビュー後、「フォールアウト」シーズン2の制作が正式に発表された]
(Originally published on wired.com, translated by Soko Hirayama, edited by Mamiko Nakano)
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