競合への転職や競業企業の設立を制限する「競業避止義務」を労働契約に設けることで、企業が労働者を囲い込む長年の慣行を阻止する連邦規則が新たに制定された。これにより、これまで以上に多くの米国人労働者がライバル企業で働く自由を得ることになる。
米連邦取引委員会(FTC)は4月23日(米国時間)、全米における大部分の競業避止義務規定を禁じる最終規則を発行した。FTCの試算によると、労働者に自由を与えることで今後10年間で年間8,500件もの新規事業が創出され、労働者の平均年収が524ドル(約83,000円)上昇し、医療費が削減され、特許件数が毎年29,000件も増加する見通しだという。
FTCによると、米国の労働者の約5人に1人が、ある一定期間は競合他社への転職や競合事業の起業を禁じる契約に縛られているという。このような契約は労働者を囲い込み、キャリアアップや賃金上昇を妨げている場合がある。そしてこれらのふたつは、労働者が転職を繰り返すことで実現している場合も多い。
またこうした契約は、テック業界をはじめとする特定の職種の労働者にとりわけ多大な影響を与えている。メリーランド大学とミシガン大学が実施した調査によると、競業避止義務を課せられている労働者の割合は、エンジニアや建築家で36%、コンピューターサイエンスや数学の分野では35%にのぼるという。
「(FTCの新規則により)技術系の労働者は、社外でさまざまなチャンスに巡り合う機会が増えていくことを実感できると思います」と、この調査に携わったメリーランド大学准教授のエヴァン・スターは語る。「より自由に好きな場所で働けるようになり、より高い賃金を得られるようになるでしょう」
競業避止義務の反対派によると、この条項は労働者を低賃金の職にとめ置くことで実害があるだけでなく、起業や画期的なアイデアの実現を妨げることでイノベーションを阻害しているという。一方で競業避止義務の賛成派は、この条項が従業員への投資を促し、企業秘密を保護するものだと主張している。これに対してスターらによる最新の調査では、競業避止義務を禁止しても企業秘密訴訟の増加にはつながっていないことが示されていた。
FTCの新規則では、上級管理職には現行の競業避止義務規定を継続できるという例外措置が設けられている。しかし、企業がこうした上級管理職に対して新規で競業避止義務を課すことは禁じている。
この規則は約4カ月後に施行予定だが、今後は難航することが予想される。反対票を投じた2人の委員は、この規則がFTCの越権行為であるとして非難した。また米国商工会議所も新規則の可決直後に、阻止を求めて訴訟を起こすことを発表している。
競業避止義務の廃止は全米に徐々に浸透
テック産業の中心地であるカリフォルニア州をはじめ、いくつかの州ではすでに競業避止義務規定の履行が禁止されている。ところが、最近になって潮流が変化したことで 、この問題は数十もの州にまで波及するようになった。
2023年には38州において、競業避止義務の履行を禁止もしくは制限しようとする81件の法案が提出された。カリフォルニア州では古くからこうした法律が施行されているが、それがシリコンバレーがイノベーションの拠点となった一因だと考えられている。一方で、かつてはカリフォルニア州と同様にテック企業が集中していたマサチューセッツ州では、こうした急成長は見られなかった。
テック企業の幹部であるダニエル・パワーズは、これまでのキャリアで2度にわたって競業避止義務規定で争った経験がある。アマゾン ウェブ サービス(AWS)のクラウド部門に転職するためにパワーズがニューヨークからシアトルに転居しようとした2010年に、前の勤務先だったIBMがそれを1年遅らせようとしたのだ。このとき双方は、パワーズが6カ月の休暇をとることで和解している。幸いにもアマゾンは、パワーズが働けない間も給料を支払うことに応じたという。
その2年後、立場は一変した。パワーズがGoogle Cloudに転職しようとしたところ、アマゾンは退職から18カ月以内に競合他社で勤務しない旨に合意しているとして、パワーズを提訴したのだ。この一件は、アマゾンが急成長しているAWS社内の従業員に起こした初の競業避止義務違反訴訟として注目されたのだと、とパワーズは振り返る。
パワーズは次の職のためにカリフォルニア州に移る必要があったが、そこでは競業避止義務が法律で禁止されていることから、彼の弁護士は一刻も早く引っ越すようすすめた。別の州に住むことで訴訟を連邦裁判所で審理できるようになるが、そうすればワシントン州の裁判所と比べてアマゾンの優位性が低くなると弁護士は考えたのだ。こうして最終的に連邦判事はパワーズ側を支持し、パワーズは係争中の3カ月間だけグーグルでの仕事を失うにとどまった。
なお、アマゾン、IBM、グーグルはコメントの要請に即座には応じていない。
「あまりに不公平」な関係
パワーズは、長年にわたって格安の法的支援を受けていなければ、競業避止義務との闘いに10万ドル(約1,600万円)以上を費やしてい恐れもあったと振り返る。「それは従業員にとって、あまりに不公平なことです」と、現在はクラウドのコンサルティングを手がけるWhat's Next Consultingを経営するパワーズは語る。「わたしが勝訴したとき、アマゾンの従業員から何百通ものメールやメッセージが届き、雇用主を打ち負かしたことを感謝されました」
ワシントン州においてテック大手のいずれかから転職しようとする人は、訴訟リスクや長期間の無給になる可能性について、家族や弁護士、新たな雇用主候補と難しい話し合いをもたなければならない場合がほとんどだ。パワーズは、訴訟を介して200人以上のアマゾンやIBMの元同僚たちの助けになれたと見積もっている。
だが、カリフォルニア州の労働者には、そのような心配はない。「ここでは『じゃあ、さようなら』と言うだけです。それを企業は止めることはできません」とパワーズは語る。
もしFTCの新規則が連邦最高裁判所で審理されることになれば、パワーズが判事に伝えたいメッセージはとてもシンプルなものになるだろう。「専門教育を受け、スキルを習得した業界で長年にわたって働いてきた人の労働機会を奪うことは、被雇用者に対するひどい仕打ちです。このような契約を交わすことは決して正しくありません」と、パワーズは語る。
(Originally published on wired.com, edited by Daisuke Takimoto)
※『WIRED』による仕事の関連記事はこちら。
雑誌『WIRED』日本版 VOL.52
「FASHION FUTURE AH!」は好評発売中!
ファッションとはつまり、服のことである。布が何からつくられるのかを知ることであり、拾ったペットボトルを糸にできる現実と、古着を繊維にする困難さについて考えることでもある。次の世代がいかに育まれるべきか、彼ら/彼女らに投げかけるべき言葉を真剣に語り合うことであり、クラフツマンシップを受け継ぐこと、モードと楽観性について洞察すること、そしてとびきりのクリエイティビティのもち主の言葉に耳を傾けることである。あるいは当然、テクノロジーが拡張する可能性を想像することでもあり、自らミシンを踏むことでもある──。およそ10年ぶりとなる『WIRED』のファッション特集。詳細はこちら。