鳥インフルエンザが、かつてない規模で哺乳類へと広がっている

鳥インフルエンザ(H5N1)が猛威を振るうなか、かつてない規模で哺乳類への感染が拡大中だ。すでに食料安全保障に影響が出るなか、研究者からは緊急監視体制の構築を求める声も高まっている。
テキサス州にある牧場の様子。
テキサス州にある牧場の様子。Photograph: Bim/Getty Images

全米各地の臨床医や州保健局のもとに米疾病管理予防センター(CDC)から健康に関する注意喚起のメールが一斉に届いたのは、4月8日(米国時間)のことである。その内容とは、テキサス州の酪農従事者1名が鳥インフルエンザウイルスのH5N1型に感染した、というものだった。

このH5N1型は鳥インフルエンザのなかでも特に感染力が強く、いま世界中で蔓延しているウイルスだ。感染した酪農従事者は、どうやらウシから感染したらしい。

CDCからの注意喚起は医師に対し、急性呼吸器症状や目の痛みを訴える患者で動物との接触が最近あった者は「H5N1の可能性がある」とみなし、警戒するよう促している。

世界中のウイルス学者たちはこのニュースに警戒感を示したものの、その程度は三者三様だった。今回の場合は、コロラド州の養鶏場従業員が感染した鳥から罹患した2022年の事例に続くもので、米国内で確認されたH5N1型ウイルス感染者としては過去2年間で2例目となる。そして、このウイルスがほかの哺乳類からヒトへと感染した初めての例とみられている。

シドニーにあるカービー研究所でバイオセキュリティプログラムを率いるレイナ・マッキンタイアによると、最大の懸念は、ウイルスが徐々に哺乳類に適応していく過程でヒト同士で感染しやすくなるような変異を獲得することだという。

現在のところ、H5N1による公衆衛生上の脅威はごく限られている。というのも、このウイルスはヒトの鼻や口の細胞には容易に侵入できないからだ。ただし、ヒトに感染した場合は死に至ることもある。

「このウイルスはヒト同士で容易に感染するものではありません」と、マッキンタイアは説明する。「ヒトでパンデミックを引き起こすようになるには、ヒトの呼吸器に存在するある種の受容体との結合性を変化させるような変異がウイルスに生じるかが鍵になります」

かつてない規模で自然界に拡大

H5N1は新しいウイルスではない。1959年にスコットランドでニワトリから初めて検出されたウイルスだ。また、2003年1月から23年12月までの間に23カ国で882人のヒトへの感染例が報告され、その致死率は52%に上る。

テキサス州の酪農従事者が感染した亜型は「2.3.4.4b」としても知られ、過去4年間にかつてない規模で自然界に拡大している。各種の報告書によると、2020年以降で何億羽もの家禽類や野鳥がこのウイルスに感染して命を落としており、26カ国で少なくとも48種の哺乳類がウイルス感染により死滅している。このH5N1型はすでに広範囲に広がっており、はるか南極大陸にまで到達し、キツネからホッキョクグマまでさまざまな種で感染が観測されている。

動物における感染の急拡大について、マッキンタイアは「かつてないこと」であると指摘する。そしてH5N1がブタやフェレットの間での流行する兆候を監視する目的で、緊急の監視体制が必要であると語る。

「わたしは1997年からH5N1を追跡してきましたが、現在の状況は非常に憂慮すべきものです。以前は鳥類におけるH5N1の流行は散発的なもので、感染した家禽を殺処分すれば沈静化していました。ところが、2021年以降は傾向に変化が見られ、殺処分しても沈静化するどころか増加の一途をたどっています」

さらに今回の場合、新たにさまざまな種の哺乳類で感染が確認されている。「なかには遺伝子を混ぜ合わせてヒトでパンデミックを引き起こす株の発生に適した“器”のような役割を果たす種もいるかもしれません」と、マッキンタイアは語る。

ここ数週間で、米国の保健当局は6州にまたがる16群のウシからH5N1を検出した。これは把握されている限りにおいて、ウシでは最大規模の集団感染となる。しかし、最近の研究では、牛乳中で最も大量のウイルスが検出されたことから、H5N1はより拡散防止が難しい空気感染ではなく、搾乳機などの器具が汚染されることによって拡がっている可能性が示唆されている。

「パニックになる必要はありませんが、警戒しておく必要はあると思います」とイスラエルのネゲヴ・ベン=グリオン大学の疫学者であり公衆衛生の専門家でもあるナダヴ・ダヴィドヴィッツは語る。「定期的な動物監視体制の強化にもっと投資し、このウイルスに関するデータを共有できるシステムを構築する必要があります。一方で、パンデミックに対する疲労感が強いのもひとつの問題です」

より差し迫った懸念

もしヒトで大流行が起きても、より歴史の浅いウイルスである新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の登場に比べれば、世界の公衆衛生システムははるかに準備ができていると、マッキンタイアは語る。というのも、インフルエンザが何十年にもわたって精力的に研究されてきたからだ。

世界保健機関(WHO)にはH5N1の各種亜型に対するワクチン候補のリストがあり、短期間での量産が可能になっている。CDCの発表によると、テキサス州の酪農従事者から分離された株は、既存のワクチン候補の標的となりうる2種類のH5N1株と近縁関係にあるという。

「ヒトインフルエンザが最後に大流行したのは2009年で、当時は最初の感染例が出てから6カ月後にワクチンを入手できるようになりました」と、マッキンタイアは言う。「現在は、より迅速な製造を可能にする新たなワクチン技術が数多く開発されています。さらに、あらゆるインフルエンザ株に効く抗ウイルス剤もあり、ワクチンのように適合性を考える必要もありません。季節性インフルエンザの予防接種を受けることで、若干の交差免疫作用も期待できます」

別の複数の研究者は、H5N1は依然として鳥類に最も適応したウイルスであり、今回の酪農従事者の単独感染は、このウイルスがヒトやウシの間で急拡大する性質を突然獲得するような事態を示唆するものではないと指摘する。「ウイルスの塩基配列データから、このウイルスがいまも鳥類を対象とするウイルスであることが示されています。ですから、ウシの間で(長期的に)残存する可能性は低いでしょう」と、英国のパーブライト研究所で鳥インフルエンザ研究グループを率いるムニール・イクバルは指摘する。

それよりも差し迫った懸念として、H5N1が食料安全保障にすでに影響を及ぼしつつあることが挙げられるだろう。カリフォルニア大学デービス校獣医学部の研究者のモーリス・ピテスキーによると、この約1週間で米国で最大手の商業養鶏施設2カ所でH5N1の集団感染が報告され、約400万羽の産卵鶏が安楽死させられたという。昨年起きた同様の集団感染では卵の価格が高騰し、米国政府は養鶏業者に対して5億ドル(約760億円)の補償金を負担している。

「福祉、経済、食糧安全保障の観点から見て、商業家禽への影響はかつてない規模になっています」と、ピテスキーは説明する。「その影響を抑えることは難しいでしょう。現在、わたしたちは何かしらの分岐点に立たされています。このウイルスが今後どこまで伝播し、世界中の家畜にどれだけ広がり続けるかは、ここで決まるのです」

ピテスキーはこれから想定される事態について、最近の事例を挙げて説明する。過去10年間にアジア各国で頻発したアフリカ豚熱(ASF)の大流行では養豚業が壊滅的な打撃を受け、地球上で最も広く消費されてきた動物性タンパク質であった豚肉は一時的に鶏肉にその座を奪われた。

これに対してピテスキーは、ウイルスの集団感染が発生するたびに政府が畜産農家に対して損失額を手厚く補償する現在のモデルは財政的に持続不可能であり、それより集団感染を未然に防ぐことのできる人工知能(AI)を活用したテクノロジーにもっと投資すべきだと主張する。

「わたしは予測モデルの研究をしており、気象レーダーや衛星画像、機械学習を組み合わせて、それぞれの農場周辺の水鳥の行動がどのように変化しているかを分析しています」と、ピテスキーは語る。「こうした情報を使えば、米国内にある50,000から60,000カ所の商業養鶏施設のどこで最もリスクが高いかを把握し、施設内にいる全羽を保護するような対策を立てることができるでしょう」

ゲノム編集が秘めた可能性

最終的にはテクノロジーの力によって、商業家禽から鳥インフルエンザウイルスを撲滅させる道が開けるかもしれない。英国の研究チームが昨年10月、ゲノム編集技術「CRISPR」を用いて鳥インフルエンザに耐性のあるニワトリを生み出せることを示し、学術誌『Nature Communications』に成果を発表している。こうした耐性は、ニワトリのANP32A、ANP32B、ANP32Eといったタンパク質をつくる遺伝子を編集することで獲得できたものだ。

これまでの研究では、がんを誘発する鳥類白血病ウイルスや、養豚場における経済的損失の大きな要因となっている豚繁殖・呼吸障害症候群ウイルスといったほかの感染症に対して、CRISPRを使うことで家畜に耐性をもたせることができると実証されてきた。

「現時点で実行可能な対策としては、農場における厳重なバイオセキュリティの実施、一部の国のようなワクチン接種の実施、そして感染または暴露された鶏集団の徹底的な殺処分が挙げられます」と、『Nature Communications』に掲載された論文で筆頭研究者を務めたブリストル大学のアレウォ・イドコ=アコーは語る。「これらの対策はある程度は成功していますが、いまのところ世界中で再発する鳥インフルエンザの流行を食い止めるには至っていません。ニワトリに遺伝子編集を施してウイルス耐性を導入することは、鳥インフルエンザの蔓延を予防、あるいは抑制するための新たな手段として検討されるべきです」

この論文についてカリフォルニア大学デービス校のピテスキーは、「実に興味深いものです」と評価する一方で、商業的に成立させるには遺伝子組換え鶏肉の消費が世間に広く受け入れられる必要がある点を指摘する。「こうしたテクノロジーによる解決策は多くの可能性を秘めていると思います。しかし、特に米国においては、遺伝子組換えを施した鶏肉に対する抵抗感が何よりの問題となるでしょう」

当面のところ、鳥インフルエンザを抑え込む最善の方策は、世界各地の動物群をより積極的に監視し、H5N1がどこでどのように拡大しているかを把握することだと、パーブライト研究所のイクバルは主張する。

「監視システムは改良を重ねており、異常と考えられる感染例については徹底的に調査されています。このシステムは、ヤギやウシでの感染といった珍しい集団感染の特定に役立っているのです」と、イクバルは米国の現状について説明する。一方で、罹患の兆候を示さない動物からウイルスを検出するには、さらに研究を重ねる必要があるとも指摘している。

(Originally published on wired.com, edited by Daisuke Takimoto)

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