映画『インフィニティ・プール』が突きつける「人間を人間たらしめる要素(そして、それは必要なのか?)」という問い:ブランドン・クローネンバーグ監督インタビュー

ブランドン・クローネンバーグの待望の長編第3作『インフィニティ・プール』が、いよいよ日本で公開された。米国ではNEONによって配給され、スマッシュヒットした秀作である。カナダの巨匠デヴィッド・クローネンバーグを父にもつブランドンだが、本作によって、父の初期作品のシグニチャーともいえる“ボディホラー”や“サイバーパンク”の因子を受け継ぎながらも、ひとりの映画作家として唯一無二の世界を築いていることを証明してみせた。そんなブランドン・クローネンバーグに、映画ジャーナリスト立田敦子が斬り込んだ。
映画『インフィニティ・プール』が突きつける「人間を人間たらしめる要素(そして、それは必要なのか?)」という問い:ブランドン・クローネンバーグ監督インタビュー
Photograph: RICH POLK/Getty Images

自身のクローンを身代わり死刑に!?

スランプに陥っている作家のジェームズ(アレクサンダー・スカルスガルド)は、資産家の娘である妻のエム(クレオパトラ・コールマン)とともに高級リゾート地として知られる孤島を訪れる。同じホテルに宿泊するガビ(ミア・ゴス)と彼女の夫に誘われ羽目を外したジェームズは罪を犯すが、警察は、大金と引き換えに彼のクローンをつくり死刑に処することで罰を免除するという案を提示してくる──。

『インフィニティ・プール』
4月5日(金)新宿ピカデリー、池袋HUMAXシネマズ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー。
© 2022 Infinity (FFP) Movie Canada Inc., Infinity Squared KFT, Cetiri Film d.o.o. All Rights Reserved.

デビュー作『アンチヴァイラル』(2012年)では、セレブリティが感染したウィルスを高額で買い取り体内に取り込む熱狂的ファンが存在する世界を提示し、第2作『ポゼッサー』(20年)では、第三者の脳の中に入り込み遠隔殺人を行なうSFノワールを描き出したブランドンだが、本作でも、彼の創作の起点となるアイデンティティをめぐる主題が浮き彫りになる。人間を人間たらしめるものとは何か。注目のカルト監督の思索に迫る。

SFというよりはマジックリアリズム

──映画における“もうひとりの自分”という主題は、かつてはドッペルゲンガー、近年ではクローンというモチーフで表象される、いわば人気のモチーフですが、本作におけるクローンによる代理処刑、つまり「自分殺し」というアイデアはどこから来ているのでしょうか。

わたし自身が書いた短編小説に由来しています。ルックスも同じで同じ記憶を保有しているもうひとりの自分が処刑されるという話です。罰すること、あるいは罪の意識とは何かというテーマを掘り下げようと書いたものでした。

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罪と罰について考えるとき、普通は法律などを強化してそもそも罪を犯さないようにすればいいとわたしたちは考えがちですよね。でも本当は、感情や道徳的な面が重要なのではないかと考えたんです。例えば、社会が誰かを罰することを要求する。それが正しいからと考えたとき、「罪を犯した」という「記憶」をもっているけど、実際は罪となる「行ない」を「していない」人を罰することには、果たしてどのような意味があるのだろうか。そういう考えを抱き、「実際に罪を犯したわけではないけれど、罪を犯した記憶を追っている人物を処刑する」というアイデアが生まれました。

──クローンというモチーフは、今日ではSF世界の話ではなく、テクノロジーの発展によりかなり現実化しています。これはアイデンティの問題と深くかかわってくるわけですが、どのように考えていますか?

クローン技術が現実的なものになってきているのは確かですね。でも、これまでSF作品で描かれてきたような「完全に自分と相似していて、さらに記憶を共有しているレベル」となると、いまのところ存在はしていません。今後はわかりませんが。

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実はこの作品をつくるにあたって、クローンに関してはそれほど考えていませんでした。単純にアイデンティティについて語るための分身のモチーフとして使ったというか。いわゆるサイエンスフィクションとして考えたとき、クローンの処刑についても「なぜ、この島にだけこういう技術があるのか?」という疑問が出てきます。つまり、このアイデアは科学的には破綻しているわけです。実際、そういうセリフも劇中にあります(笑)。むしろ、わたしはマジックリアリズム的にこの世界を描いたといえるでしょう。現実と同じ世界だけれども、一部だけ何かが歪んでいる、というような。

わたしはとても悲観的な人間

──最近、ダーレン・アロノフスキーの『π〈パイ〉』(1998年)が、A24によって4Kリマスター化され、25年ぶりくらいに見直しました。『π〈パイ〉』やあなたの父であるデヴィッド・クローネンバーグの初期作品は“サイバーパンク”作品として評価され、ムーブメントとなりましたが、あなたはその系譜を継いでいるという認識はありますか?

サイバーパンクの小説を読んで育った世代でもありますから、それらの映画は個人的にとても好きです。そういう意味では影響はあるでしょう。サイバーパンクの作品には反体制的な部分や大企業に対する批評的な視点が通底していると思います。観客としては、そのルックスやテクスチャーも好きなのですが、つくり手としては、サイバーパンク的なものとは一線を画していると思います。テーマ的にもね。

サイバーパンクの作品は、予測できる発展した科学みたいなものが素地にあると思います。いわゆるハードSFの世界。その点、わたしの作品はハードSFにはなりえません。さらに、サイバーパンクというのは伝統的に大企業のような体制側と対峙し、それに打ち勝つという楽観主義的な感覚がありますが、わたしの作品では、主人公が負けるどころかすべての人々が負けてしまいます。何せ、わたしはとても悲観的な人間なので。

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──悲観的!ですか。先ほど「罪と罰」というワードがありましたが、本作の設定は、裕福な白人が、架空の国ではありますがそれほど豊かではない国のリゾートで豪遊し、金銭ですべてを解決しようとするという、白人富裕層の植民地主義的な設定が見られます。こうした設定を今日、採用した狙いは何でしょうか?

独特のシステムにより、通常であれば罰せられるはずが、罰せられずに金銭を代償として自由を得ている。そういう人たちがいる国です。そこでは何でもありになってしまいます。つまり、そうした環境下で、人々の心理的変容を描きたいという思いが最初にありました。その舞台として、リゾートがふさわしいと考えたわけです。ある種“ポケット”のようなエリア。外部から来る人々のために遊び場をつくって提供し、文化の一部を消費されることで成り立つ「商品と化している」ような国です。植民地的な要素も、そうした設定から自然に描かれることになりました。

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──スタイリッシュな映像はこの作品の評価の高さの一要因です。撮影監督は、『アンチヴァイラル』のときから一緒に仕事をしているカリム・ハッセンです。特に、本作ではアンビエントサイケデリックを想起させる映像が興味深かったですが、映像のクリエイションに関してはどのように進めたのでしょうか?

撮影監督のカリム・ハッセンとは、何カ月もかけて念入りに絵づくりをしました。あのシーンの映像に関していえば、イメージをどうやって歪めようかといろいろ試しました。1日10回くらい、いろいろな素材を使って試していました。光が当たったときにアングルによって違った色を発したりするダイクロイックというフィルムを貼ったガラスやジェルなども使っています。

具体的にいうと、実際に撮影したカラフルな素材を投影し、さらにそれを、ダイクロイックフィルムやジェルをレンズに付けて改めて撮り直す、といったプロセスで映像をつくり上げていきました。フレアを使ったりもしましたね。

まあ、とにかくいろいろなレンズを使いました。一部、ストップモーションも使っています。これは特殊メイクのダン・マーティンと、ストップモーションのアニメーターとしても有名なリー・ハードキャッスルが一緒につくってくれています。プロダクションデザイナーも、特殊なミラーボックスをつくってくれました。さらには、いろいろな色が入ったチューブが仕掛けられたスマートガラスを使って、さまざまな色を発する仕掛けも使っています。

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──時間をかけて創意工夫し、このような映像を具現化した目的は何でしょうか?

まずは、わたしたちが(つくる過程が)楽しいからです! でも、観客への効果も間違いなくあります。この作品に関しては、セックスやバイオレンスについて聞かれることも多いのですが、その答えに近いものになるかもしれません。映画というのはわたしにとって没入できるものであり、五感で体験できる、そういうメディアだと思っています。その瞬間をまさに体感できるのが映画の力だと思うんです。それも、非常に直接的なかたちで。五臓六腑で体感できる、というか。

しかもわたしの映画は、プロットが大事というよりは、キャラクターの心理がいかに進化あるいは変容していくのかを描いています。なので、その瞬間瞬間のキャラクターの内面を描くことが何よりも大事なんです。キャラクターが感じていることを、観客もまた感じる。頭でわかってもらうのではなく、肌で感じてもらうことが重要なんです。もっといえば、キャラクターが体験していることが美しいことであっても恐ろしいことであっても、次のシーンを経験してもらうための準備をしている、という側面もあります。

真実というコンセプト自体が困難な時代

──先ほどあなた自身は悲観的であるとおっしゃいましたが、テクノロジーの進化に対しても肯定的に捉えていないのでしょうか?

何に対しても悲観主義ではありますね。でも、テクノロジー自体に関していえば、悲観的ではないし、魅了されているというか、オブセッションさえあると思います。けれど、テクノロジーは使い方によっては破滅的なものであるとは思います。特にここ10年、SNSによるわれわれの思考やコミュニケーションの変容には懸念しています。SNSによって増幅される心理的な危うさは、徐々に明らかになってきていますしね。

一方で、例えば選挙における操作や、思考の誘導や印象操作といったことが始まっていますし、AIによってそれらはますます加速し変わっていくでしょう。そうしたテクノロジーは、きっとわれわれにとって素晴らしいことでもあると同時に、憂慮すべき状況になると思います。そうなると、もはや真実というコンセプト自体が困難なものになる時代が訪れるのではないかと思います。映画作家としては、AIが脚本を書いたり映画をつくったりするだろうから、仕事がなくなって、経済的にも立ち行かなくなるという心配もありますけどね(笑)。

テクノロジーは、利用もできるけれど、傷つけられることもある。両刃の刃であることは確かです。とはいえ、最も悲観的に捉えているのは、テクノロジーを使う側の人間に対してです。人間の手にそれを委ねた時点で、テクノロジーがどうなるのか。それを考えるとどうしても悲観的になってしまいます。

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──前2作にも共通する「乗っ取られること」「支配されること」に対するオブセッションは、あなたが抱える恐怖と結び付いているのでしょうか?

おそらく「人間とは何なのか」というわたしの興味と結びついていると思います。人間が意思をもち、欲求をもつとはどういうことなのか。生きれば生きるほど、人間って何ものでもないじゃないか、と思えてきました。ある意味、人間ってまったく架空のもの、フィクションだというふうに思ったりするんです。あるのは身体的な、あるいは何かに反応する衝動だけ。そこに人間を人間たらしめる要素があるわけではなく、衝動に、何かしらフィクションとしての「要素」を、物語的に理屈をつけるために勝手に乗っけているだけじゃないか……。そう思ったりするんです。

なので、「分身」や「所有」「支配」といった要素についていえば、かたちを変えているけれど、ある種わたしは、同じものを模索しているのかなという自覚はあります。人間を人間たらしめている要素は何か、それはそもそも必要なものなのか。そういうことを、映画を通して模索しているのです。

(Edited by Tomonari Cotani)

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