スマートフォンが子どものメンタルヘルスに与える影響は? 正反対の主張から見えてくること

スマートフォンやソーシャルメディアが子どもの心の健康に及ぼす影響について、わたしたちはどう考えるべきなのか。科学的にもはっきりとした結論が出ていないこの問題について、異なる主張が展開される2冊の書籍が出版された。
Photo of child laying looking at their phone
Photograph: Matt Cardy/Getty Images

“反スマートフォン”の動きが活発化している。2024年3月25日、フロリダ州知事のロン・デサンティスは、14歳未満の子どもソーシャルメディア利用を禁じる法案に署名した。2月には、英国の学校内でスマートフォンを使わないよう児童への指導を強化する取り組みが、同国政府の支援のもとで始まった。「Smartphone Free Childhood」(スマートフォンに縛られない子ども時代)のような草の根団体の活動も、ここ1年ほどの間で注目を集めている。スマートフォンとソーシャルメディアが若者の心の健康に与える影響を危惧する親たちが増えているからだ。

こうした懸念の根底には、「スマートフォンはわたしたちのメンタルヘルスにどんな影響を与えているのか」という恐ろしく難解な問題が潜んでいる。その答えは尋ねる相手によって異なる。スマートフォンが人々のウェルビーイング(心と体の健康)を蝕んでいる確かな証拠があると誰かが言えば、さほど信憑性の高い証拠ではないと、ほかの誰かが反論する。ひとつの説を訴えるブログがあったと思えば、それに異論を唱えるブログも存在して、そのどちらもが同じ科学論文を根拠として示し、そこから正反対の結論を導き出している、ということも珍しくないのだ。

スマートフォンが変えた子どもの日常

こうした混乱に新たな一石を投じたのが、3月に出版された2冊の書籍だ。両者はこの論争において真っ向から対立している。『The Anxious Generation: How the Great Rewiring of Childhood Is Causing an Epidemic of Mental Illness』(不安な世代:子ども時代のつながりの激変はいかにして心の病の蔓延を引き起こすか)[未邦訳]のなかで、著者である社会心理学者のジョナサン・ハイトは、スマートフォンとソーシャルメディアこそが、2010年代初めから多くの国々で確認されている若者のメンタルヘルスの衰えに関する主原因であるとの持論を展開している。

10年代初頭は極めて重要な意味をもつ時代だとハイトは言う。スマートフォンのせいで子どもたちの日常がそれまでとはまったく違うものに変貌し始めた時期だからだ。10年6月、アップルのスマートフォンに史上初の前面カメラが搭載され、その数カ月後にはApp StoreにInstagramのアプリが登場した。ハイトに言わせると、これは致命的な組み合わせだった。突如として子どもたちは、常にインターネットに接続し、常にほかの人の目に晒され、ウェルビーイングを侵されかねない手段でつながり合うようになった。結果的に、不安や抑うつ、自傷の衝動が津波のように子どもたちを襲った。特に若い女の子たちへの影響が大きかったという。

しかしハイトは、スマートフォンの問題は全体のほんの一部に過ぎないと述べている。彼の考えによると、欧米の子どもたちは「セーフティーイズム(安全至上主義)」のせいで健全な発育を妨げられている。こうした風潮によって、子どもたちは家から出してもらえず、常に危険から守られ、自由で荒っぽい遊びの代わりに大人が用意したスポーツに誘導されたり、ひどい場合はビデオゲームを与えられたりしているのだという。セーフティーイズムの実例として、ハイトは自らが「遊具として史上最高の発明品」と称賛する1970年代の公園に置かれた回転式遊具の写真を、安全第一で設計された現代の遊具の写真と対比させている。いまの子どもたちはこうして危険な遊びから学ぶ機会を奪われているというのだ。

関連記事SNSと育つということ:ソーシャルメディアはアイデンティティ形成にどんな影響を及ぼすのか

要するにこれがハイトの言う「Great Rewiring」(つながりの激変)なのだ。“遊び中心”だった子どもたちの日常は“電話中心”へと移り、結果的に子どもとしての幸福度が低く、大人としての能力にも乏しい若者が増えてしまった。どうやらハイトは、子どもたちが「つまらない」人間になってしまったとも言いたいようだ。いまどきの米国の高校の最上級生は、先輩世代の若者たちに比べ飲酒経験や性体験が少なく、運転免許をもつ者もアルバイト経験のある者も少ないという。真綿でくるむように親に守られ、オンライン生活に熱中しているうちに、若者たちは大人への健全な道のりを歩めなくなってしまうだろうとハイトは訴える。

ハイトは、ジャーナリストで活動家のグレッグ・ルキアノフとの共著で、2018年に出版された『The Coddling of the American Mind』(邦訳『傷つきやすいアメリカの大学生たち──大学と若者をダメにする「善意」と「誤った信念」の正体』)のなかでも同じ主張を展開している。米国の子どもたちの精神状態が以前より悪化しているわけではなく、現代風の育児と技術の進歩によって、大人になろうとするその歩みが阻まれているのだと彼は示唆している。新著のなかでハイトは、「思春期に入る“前に”スマートフォンの虜になった新世代の若者の場合、思春期の“最中”にも目や耳に大量の情報が流れ込んできてしまうことから、現実世界のメンターたちから得るべき教えが入り込む余地はほとんど残されていない」と述べている。

この議論の争点は、わたしたちの日常に蔓延するあの薄いプラスチック片と金属片の塊を超越したところにある。ハイトの懸念は子どもたちの問題にとどまらない。この本のなかでスマートフォンやメンタルヘルスの話題が占める割合は、全体の半分ほどに過ぎない。ハイトはむしろ、スクリーンの見過ぎですっかり無気力になり、一人前の人間に成長させてくれるはずの厳しい現実から隔離されてきたせいで、弱体化してしまった大人たちの社会を憂えているのだ。

スクリーンタイム以外の要因は?

一方、英国の心理学者であるピート・エッチェルズの新著『Unlocked: The Real Science of Screen Time (and How to Spend It Better)』(アンロックド:スクリーンタイムの本当の科学と、よりよいスクリーンタイムの過ごし方)[未邦訳]の内容は全体的にかなり穏当だ。ハイトの著書が、ソーシャルメディアのアカウント作成を16歳以上に限定する、携帯電話の学校内への持ち込み禁止を奨励する、家庭でのスクリーンタイムを厳しく制限する、といった強い口調の提言で締めくくられているのに対し、エッチェルズの結びの言葉ははるかに慎重である。彼の基本姿勢は、「さらなる調査が求められる」という科学者の模範解答のような言葉に表れている。

さらに正確を期すなら、「精度の高い調査が求められる」とすべきだろう。著書のなかでエッチェルズも述べているように、スクリーンタイムの量とそれが心の健康や睡眠その他に及ぼす影響について調べた科学的文献から、十分に意味のある内容を引き出すことは難しいかもしれないのだ。こうした研究には常に無数の難問がつきまとう。どんな内容のスクリーンタイムを計測すべきか、Zoom会議はソーシャルメディアと同じか、メンタルヘルスに影響する要因はほかにもあるのに、どうやってスクリーンタイムの影響と思われるものだけを拾い出すのか、といった問題だ。

関連記事ソーシャルメディアはどれほど有害なのか?:論文500本をメタ分析した結果

納得できる答えを得るには、不安や抑うつ、自傷や自殺の衝動を抱えるティーンエイジャーの割合を示すグラフを参照するのが一番だ。この種のグラフには、スマートフォン時代の幕開けとも呼ぶべき2010年から不吉な影が差し、状況の悪化のすさまじさを示す急激な変動が表れているはずだ。スマートフォン以外にこの劇的な変化を説明できる要因はないとハイトは主張する。

だがこのことは、本当にスマートフォンにそれほどの影響力があるとしたら、それは「なぜなのか」という疑問の答えになっていない。エッチェルズは著書のなかで、スクリーンタイムに関する大量の研究論文の内容を詳細に分析しており、そこにはハイトや、かつてハイトの共同研究者だった心理学者のジーン・トゥウェンジの論文も含まれている。スマートフォンと若者のメンタルヘルスとの関連に関するトゥウェンジの研究は、いまも極めて大きな影響力をもっている。

原因と結果を混同してしまう

ときとして、同じデータを見ている科学者がそれぞれ正反対の結論を導き出すことがある。19年に、デジタル技術の使用と思春期の若者のウェルビーイングに関するデータを集めていたオックスフォード大学のふたりの研究員が、スクリーンタイムは若者のウェルビーイングをわずかに害するものの、その影響は極めて小さいと結論付けた。その数年後、トゥウェンジとハイトを含む研究チームはこのふたりと同じデータ群を別の方法で分析し、影響が少ないどころかソーシャルメディアは大量飲酒や性的暴行、薬物の乱用よりも強烈な負の影響を、特に少女たちに与えてきたとの結論を導き出した

関連記事「メンタルの不調はテクノロジーのせい」は本当か? アマゾンでの調査からわかったこと

エッチェルズは、ハイトとトゥウェンジの論文がオックスフォード大学の研究よりも限られた範囲の分析に基づくものだと主張している。彼らの研究結果を否定するわけではないが、着眼点がやや異なっていたせいで、まったく別の結果が導き出されてしまったというのだ。エッチェルズは著書のなかで、「結果的にハイトらの研究結果は、ひと言で言えばオックスフォード大学による関連性分析の“焼き直し”となったが、その研究には別の名称が付され、より厳密な内容であるとの主張がなされた。しかし実際は、ただでさえ混乱に満ちていた論文にさらなる雑音が追加されたに過ぎなかった」と、述べている。

エッチェルズは今回の著書の全体を通して、自身の個人的な体験を交えながら、人々の生活がスクリーンタイムに害されているという主張への反論を試みている。エッチェルズの前著『Lost in a Good Game』(ゲームがすべてを忘れさせてくれた)[未邦訳]には、14歳で父親を亡くしたときにビデオゲームのおかげで悲しみを克服できた経験が記されている。また、新著の『Unlocked』には、10代後半に仮想共同体「LiveJournal」に投稿していたブログ記事を読み返した経験が語られている。そこには、悲しみに押しつぶされながらもブログという公の場所で自分の気持ちに向き合い、他者とのつながりを求める10代の若者の言葉がつづられていたという。

関連記事亡き母のデジタル音声が、いまもわたしの健康を支えてくれている

10代のころの自分がネット上に残した足跡をたどる行程はかなり気恥ずかしい体験だろう。しかしエッチェルズが言いたいのは、スクリーンタイムについて考える際に、人々がいかに原因と結果を混同してしまうかということだ。LiveJournalが彼の気分を落ち込ませたのだろうか。それとも、彼は憂鬱な気分を晴らすためにLiveJournalにアクセスしていたのだろうか。夜中にベッドに横になっても、考え事をして目が冴えてしまい、スマートフォンに手を伸ばすことがある。この場合、スマートフォンが不眠を助長しているのだろうか、それとも眠れないせいで、ついスマートフォンに手が伸びてしまうのだろうか。

子どもたちの人生の何を改善したいのか

ハイトとエッチェルズの著書は、いずれも一連の忠告で締めくくられている。ただし、その内容はエッチェルズのほうがかなり穏やかだ。エッチェルズは、スクリーンタイムに関する話題や調査結果に触れる際にはもっと落ち着いて考えるべきだと述べている。また、自らの習慣と照らし合わせて自分に合わないものには微調整を加え、デジタル機器を巡る言説に対する批判の目を養うよう説いている。

エッチェルズがスクリーンタイムとの慎重な関係構築を勧めているのに対し、ハイトはいまのスクリーンタイムとの向き合い方を白紙に戻して最初からやり直すよう、政府や親たちに強く求めている。著書のなかでハイトは、スクリーンタイムこそが社会がレールを外れて暴走し始めた原因であると同時に症状そのものであると述べている。すべてを正しい方向に戻すには、一からやり直す以外にないというのだ。

ハイトの著書には、物事がいまより単純だった時代に時計の針を戻したいという切なる思いがはっきりと表れている。子どもたちだけで遅くまで外で遊んでいられた時代、吐きそうになるまで公園の回転式遊具で遊べた時代のことだ。しかし、子どもたちに健康で幸せな毎日を過ごしてほしいと願うことと、往時の子どもたちと同じ日常を送らせたいと思うこととは、まったく別の話だ。いまの若者の飲酒量が減り、性体験が遅れ、免許の取得が遅れたとして、いったいどんな不都合があるというのか。大人たちは、子どもたちの人生の何を改善しようというのだろうか。

関連記事メッセージアプリから逃れられない時代に、「不在」を伝えることの大切さ(とノスタルジア)

エッチェルズは、科学技術に対しても慎重に考えるよう読者に勧めている。「スクリーンタイムにまつわるセンセーショナルな言説に対しては、条件反射的に敵意を示すのではなく、用心深い好奇心をもって接する必要がある。自分の世界観に合わないという理由でデジタル技術に関する最新の研究結果に疑問を感じるなら、とにかく詳しく調べてみるといい。ただし、偏見をもたず、理解することだけを目的として調べるのだ」

答えはこの2冊の本の中間のどこかにあるのかもしれない。スマートフォンを完全に手放すのは難しそうだが、わたしたちはデジタル機器が若者の日常を豊かにする方法を慎重に考えるべきで、その逆にならないようにしなければいけない。若者のウェルビーイングを害するほかの無数の事象を無視せずに、スクリーンタイムの問題に取り組むべきなのだ。大人であるわたしたちは、自身の経験のレンズを通して物事を見るのではなく、あくまで子どもたちの体験を中心に考え、子どもたち自身に尋ねなければならない。どうすれば君たちを幸せにできるのか、と。

(Originally published on wired.com, translated by Mitsuko Saeki, edited by Mamiko Nakano)

※『WIRED』によるメンタルヘルスの関連記事はこちら


Related Articles
article image
ニュースやSNSのチェックは、現代社会では欠かせない習慣だ。しかし、時には「スマホから離れるべきタイミングもある」と心理学者は語る。ショッキングなニュースなどの情報に圧倒され、「ドゥームスクローリング」のスパイラルに陥ってしまったとき、私たちはどう対処すべきなのか。
Pattern of repeating Youtube play buttons on a light blue background
YouTubeに投稿されるリアルな動画について、生成AIの利用を明記するよう求める新たな規定が設けられた。ところが、アニメーションが対象外になったことで、子どもたちが低品質なコンテンツに晒される危険性が指摘されている。

雑誌『WIRED』日本版 VOL.52
「FASHION FUTURE AH!」は好評発売中!

ファッションとはつまり、服のことである。布が何からつくられるのかを知ることであり、拾ったペットボトルを糸にできる現実と、古着を繊維にする困難さについて考えることでもある。次の世代がいかに育まれるべきか、彼ら/彼女らに投げかけるべき言葉を真剣に語り合うことであり、クラフツマンシップを受け継ぐこと、モードと楽観性について洞察すること、そしてとびきりのクリエイティビティのもち主の言葉に耳を傾けることである。あるいは当然、テクノロジーが拡張する可能性を想像することでもあり、自らミシンを踏むことでもある──。およそ10年ぶりとなる『WIRED』のファッション特集。詳細はこちら