「夢の光」を技術革新のツールに。ナノテラスは世界初の仕組みで“放射光施設の民主化”に挑む

宮城県内に新設されたドーナツ型の放射光施設「NanoTerasu(ナノテラス)」。ナノの世界を分析できる超高性能なこの「巨大顕微鏡」は、技術を広く一般に開くための「コアリション(有志連合)」と呼ばれる仕組みづくりの面でも世界に先駆けている。
「夢の光」を技術革新のツールに。ナノテラスは世界初の仕組みで“放射光施設の民主化”に挑む
PHOTOGRAPH: SPENCER LOWELL

宮城県仙台市に誕生した放射光施設「NanoTerasu(ナノテラス)」は、ふたつの面で注目されてきた。

ひとつは、巨大な顕微鏡としてのこの施設がもつ世界最高水準の分析機能(「巨大顕微鏡『ナノテラス』は何が画期的?『おにぎり』を例に解説してもらった」に詳しい)。もうひとつは、民間企業によるイノベーションを促進するためにつくられた「コアリション(有志連合)」と呼ばれる世界初の仕組みだ。

コアリションは、企業がナノテラスを活用するために必要なものがすべて揃った、いわばパッケージのようなものだ。企業が1口5,000万円で加入すると、ナノテラスを年間200時間まで利用できるほか、必要に応じて学術研究者とマッチングしてもらい、一対一の研究開発の連合(コアリション)を組める。ナノテラスの建設資金は国が半分、地域や企業などが残りの半分を出しているが、企業からの資金はこのコアリションを通じて集められた。

シンプルな仕組みだ。しかし、コアリションがなぜ画期的なのかを知るには、これまでの放射光施設の歴史を振り返る必要がある。

「夢の光」だった放射光

いまから40年ほど前、放射光は「夢の光」と呼ばれていた。放射光とは光に近い速さで運動する電子が、磁場によって進行方向を変えるときに発生する光のことだ。非常に明るくシャープなその光は、10億分の1mというナノの世界の分析を可能にし、それを利用した放射光施設はさまざまな発見の礎となってきた。

日本は1960年代という早期から放射光の研究に注力し、これまで10あまりの放射光施設を建設している。一方で、その技術は一般に開かれたものではなかったという。

「実際に研究に活用できたのは、専門知識をもつ一部の研究者に限られていました」。そう語るのは、ナノテラスの建設を主導した組織のひとつ、国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(QST)次世代放射光施設整備開発センターの内海渉センター長だ。「放射光とは何であり、この光で何ができるかをよく知る学者たちが、主に論文を書くために使っていたんです。そんな状態が長く続いていました」

当時の放射光は物理学の専門家が使うもの。一般企業にとっては、あくまで「夢の光」という遠い存在にとどまっていた。

変わらぬハードルの高さ

風向きが変わったのは、1997年に兵庫県に「SPring-8(スプリングエイト)」と呼ばれる放射光施設ができてからだ。「SPring-8も始めは大学の研究者たちが主に使っていました。しかしそのうち、企業が放射光に詳しい大学の先生たちと組んで自社の研究開発に活用し始めたんです」と、内海は振り返る。

もちろん、そうした研究開発の結果が世に出るまでにはしばらく時間がかかる。だが10年もすると、「あのシャンプーはSPring-8での研究が基になっているらしい」といった話が、企業の間で流れるようになり、産業利用も少しずつ進むようになった。

「2010年代になると、同じ分野を研究する企業と学術研究者からなる『産学連合体』が生まれました」。そう話すのは、QSTとともにナノテラス建設を主導した一般財団法人光科学イノベーションセンター(PhoSIC)の理事長、高田昌樹だ。「この産学連合体が合同でビームラインを建設したんです」

ビームラインとは、放射光施設における実験設備の部分のこと。わたしたちが使う顕微鏡の試料台に当たる箇所(理科の実験でプレパラートを置く場所を思い浮かべてほしい)を擁し、ひとつの放射光施設に複数が建設できる。ビームラインが多ければ、それだけ同時並行で多くの実験がおこなえるということだ。「産学連合体が建設したビームラインのおかげで、さまざまな成果が上がりました。現在では広く使われるようになった低燃費タイヤ(エコタイヤ)もそのひとつです」

とはいえ、こうした取り組みの主体は一部の非常に意欲的な企業に限定された。「放射光についてしっかり勉強しないと使えないと思い込んで敬遠されてしまったり、どんな用途に使えるのかわからなかったりといった課題は依然として残っていました」と、高田は振り返る。放射光という技術の複雑さが施設活用のボトルネックとなっていた。

「課題だけを教えてほしい」

このハードルの高さを解消するためにナノテラスの建設にあたって誕生したのが、前述のコアリションだ。その肝は、ナノテラスによる企業と学術研究者のマッチングにある。

企業側はあらかじめ施設や放射光について学ぶ必要はない。「企業には『お困り事だけお聞かせください』とお伝えしています。中途半端に放射光について勉強してしまうと、その知識の範囲で解決できそうな課題についてしか考えられなくなります。これは機会損失なんです」。そう高田が語るように、議論の出発点は放射光技術が何であるかではなく、解決したい課題は何かだ。「われわれ専門家が困り事を聞き、それを放射光がどう解決できそうかをしっかり理解したうえで、最適な研究者とマッチングする。それでこそ具体的な課題解決、つまりイノベーションにつながるのです」

この取り組みのテストケースから生まれたイノベーションの例が、パンデミック期間に多用されたECMO(体外式膜型人工肺)の研究だ。それまでECMOのチューブはプラスチックにタンパク質がくっついて内部で血栓ができ、長時間の使用ができないという問題を抱えていた。しかし、この課題がマッチング相手である学術研究者側に共有されてから半年後には分子レベルの結合が明らかになり、そこからナノレベルの水の層がこの問題を解決するカギであることがわかったという。その結果、ECMOにポリマーのコーティングが新しく施され、血栓の問題の解決につながった。

放射光施設を開かれたツールに

ナノテラスでの研究をイノベーションにつなげるには、ただ分析結果を出すだけでは不十分だ。そのデータを活用するために必要な解析やシミュレーションの知識をもつ専門家と企業がマッチングされて初めて、企業側にとってのメリットが生まれる。

コアリションという仕組みの狙いは、放射光施設を十二分に活用するためのマインドセットをつくることでもあるのだと高田は語る。「ナノテラスはいままでの考え方を変える場所でもあるんです。コアリションを通じて事例を積み重ねることで、いままで放射光施設に縁がなかった企業や部門もその技術を使い、そこから新しい発見が生まれていったら面白いと思っています」

ナノテラスのコアリションメンバーは、企業のほか、大学や研究機関も参画して150以上になる予定だ。そのメンバーは電子部品メーカーから製薬会社、食品会社まで幅広い。かつて「夢の光」と呼ばれていた放射光は、イノベーションのための堅実なツールになろうとしている。


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